bluetrollbible58のブログ

子供の心の事、親の事を中心に書いていこうと思います。

大学受験

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私の高校時代の環境は、ものすごく恵まれていたと思う。

 

大きな勉強机に本棚とベッドというシンプルな自分だけの部屋。

そして毎日の食事や掃除洗濯、毎日持たせてくれる手作りのお弁当。

学校から帰ると、私の部屋は全て片付いていてベッドのシーツもパリッと清潔な状態で、今思い返しても受験生の私にとって贅沢な環境だったと思う。

 

全ては、祖母との2人暮らしのおかげである。

祖母が全てお金を出し、家事も完璧にしてくれて、必要な環境は全て与えてくれていた。

 

では、なぜ私は勉強や大学受験をしなかったのか。

 

祖母と暮らす前の毒親の家庭環境の悪さがその根本にあるものの、祖母から与えられた環境、与えられたお金が、子供ながらにとても無機質なものに思えていたからだ。

 

私の幸せを願ってお金を使ってくれているのではなく、祖母が満足したいがためにお金や環境を提供してくれているのだと子供ながらに思っていた。

 

祖母との生活に、心を満たしてくれるような温かみを感じられなかった。

 

そこでもし祖母と意思疎通できていたならまた違ったのだろうけど、祖母は打たれ弱い性格なので、私は祖母には問題提起は一切せず、毎日を淡々と過ごす学校生活だった。

 

無機質な環境に全く感謝をせず、遊んでばかりで勉強を一切せずに高校を卒業してしまった。

 

もしあの頃の私にアドバイスできるとしたら、

 

「無機質な環境、無機質なお金こそ味方につけると自分の幸せに繋がる」

 

とアドバイスすると思う。

 

表面的に温かみのあるものだけが私を幸せにしてくれる。というイメージをずっと持っていた。

 

しかし温かみのない無機質なものを自分の味方につける事によって、無機質なものが結果的に幸せに導いてくれるという事に私は後々気づいてしまった。

 

それを実行してくれたのが、私の兄弟だ。

私の生き方を反面教師にして、今年現役で国立の大学に合格したのだ。

 

 大学が全てではない、学歴が全てではない、と言う人もいる。

確かに、大学を出ていても出ていなくても犯罪する人はする。

 

ただ、私が私自身を許せないのは、高校時代に勉強をせずに、祖母にも感謝せず、表面的に面白いもの、楽しいものだけにとらわれて生きていたという事だ。

 

無機質な環境、無機質なお金、無機質な勉強の内部まで、掘り下げて見てみようと思えなかった事が情けなく思う。

 

本当の幸せは内側に潜んでいるということを、あの頃の私は気づかずに生きていた。

 

今度大学の入学式がある。

私とは違う人生を、私の兄弟たちが歩んでくれることを心から嬉しく思う。

 


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作らないという選択

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メールで。

 

「子供まだできないの?子供いない女は年をとってからが不幸よ!」

 

「あなたの事を心配して言ってあげてるの!」

 

だって。

 

ぞくぞくと寒気がした。

 

 

 

「女として生まれてきたなら産むのは当たり前だと思う」

 

とか、

 

「人間としての責任を果たすために子供を産まないとね」

 

って言われて、家に帰って泣いたこともある。

 

もちろん、その考えも間違っていないと思う。

少子化問題とか年金問題とかもあるし。

 

 

 

でも、世の中には私みたいに産まないほうが良い人間も確実にいると思うんだけどな。

 

例えば無責任な親が1人子供を産むとする。

でも、その子が将来5人の他人の命を奪う可能性だってあるのに。

 

そういう子供が誕生するリスクだってあるかもしれないのに、作るべきとか産むのが当たり前だとか周りが言うだなんて、それはあまりにも無責任な発言だ。

 

子供を作る作らないという話しは夫婦間だけでするべきで、周りがガヤガヤ言うべきではないと思う。

 

あんな風に言われるたびに、この曲が思い浮かぶ。

 

youtu.be

 

 


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退屈から楽しいへ

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一昨日テレビをつけると、NHKの番組クラシック館「オペラ・カルメン」の放送が始まろうとしていた。

「オペラとか一切興味ないな。退屈だなぁ。。」

と思いながらも、とりあえず何となく眺めていた。

 

 

フランス語で歌っていて、字幕を読みながらカルメンというストーリーを知ることができるようだ。

もしもコンサートホールでこのオペラを聴いていたら私は言葉が理解できずに爆睡していただろう。


そもそも私はカルメンの意味自体を間違った意味で覚えていた。
カルメンという単語はスペインかどこかの踊りの一つなのだろうなぁと、子供の頃から勝手にそう思っていた。

 

どこかで聞いたことのある曲がところどころ出てくる事も分かり、第4章の終わりまで飽きることなく楽しむことができた。

「おお!この有名な曲の部分はそういう意味の事を歌っていたのか!」

という発見もできて、本当に面白かった。そわそわした。

こんな気持ちにもなった。

もしも数年前に、人生を自分で終わらせていたら、カルメンの意味や新しい発見も感動もなく亡くなっていたのだろう。

 


例え興味のない分野でも私自身が知ろうとすれば結果的にそれが私の心を幸せにしてくれるのかもしれない。


「オペラなんてうるさくて、恥ずかしい!」

私はずっと子供の頃からそう思って生きていたのに(目立つ芸術を軽蔑する母親の影響が強い)、今回の番組を観て見事にオペラの世界観に惹き込まれた。

自分の退屈な人生を楽しい人生に変えてくれるものって必ずどこかに存在する。
そう確信しはじめている。
受動的ではあるんだけど。

 

 


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適量の幸せ

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心の底から楽しんだ事、今までの人生で一度くらいはあっただろうか。

友達と遊んでいる時も学校にいる時も、頭のどこかで常に母親の事があった。

ヒステリーな母親とその再婚相手と貧乏な生活を送る中で、私ってなぜこんなに運の悪い人生なんだろうと何度も嘆いた。

 

現在は母親と離れて暮らすようになり、自分で生活する分だけのお金を稼ぎ、時間にも気持ちにも余裕が持てる生活ができるようになってきた。(離れていても母親とのつらい関係は断ち切れていないのだけど)

 

親から離れて暮らして生活が向上しているのにも関わらず、私は心から楽しいと思える人生を歩めていない事に気づいた。 そして私の人生は今までもこれから先もずっと退屈で楽しくない人生なのだとまた嘆いた。

 

 そんな退屈な人生の中で私はいつも寝る前にhuluで海外のテレビドラマを観るようになった。 ドラマのおかげ楽しいと思う時間が少しずつ増えてきたように思える。

映画と違ってテレビドラマならストーリーが長く続くので、退屈な人生を歩んでいる私にとっては本当に魅力的だし助かっている。 私の人生の時間を自分の好きなドラマのストーリーで埋め尽くす事ができるのだから。本当に有り難い。

 

私はもう自分の人生を頑張ったりしない。 無理なものは無理なんだと。諦めてひっそりと穏やかに暮らすことも肝心。 全ては自分のためにね。

 

私の人生は基礎的な部分がぶっ壊れているし、努力をして幸せを勝ち取っても結局泥沼に引き戻されること、そこから這い上がるには時間も体力もお金も必要だという事。 だからこそどこかで見切りをつけて方向転換をしたり、前進も後退もせずに立ち止まったままのほうが良い場合もある。

 

自分に課せられた仕事を毎日淡々とこなし、家に帰る。 ベッドに入ってドラマを観る。 今日のドラマも面白かったなぁと思いながら眠る人生で十分幸せなのだと気づいた。

 

持てる幸せの量とその幸せを受け止められる器の大きさは、一人一人決まっているのかもしれない。自分が掴んだ幸せの量が多すぎて心の器からこぼれ落ちていくたびに不幸になるような気がしている。幸せというものは決して自分の心の器からこぼれ落ちるほどの量を掴んではいけないのだと思う。

 

自分が持てる幸せの量を自分自身で見極めて、その幸せの量の範囲内で満足できる人が結果的に幸せになれるのかもしれない。

 

 


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目の不調

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半年前から時々視界のフチが白く光る症状が出てくるようになりました。

そして、それと同じ時期に視界に虫のような物が見えるようになり(飛蚊症かな?)、ここ最近ではそれらの2つの症状が今までにも増して急にひどくなってきました。

眼科に行かなくてはなぁ。

そう、思っています。

母とは別居していますが、毎日のようにメールが来ます。
いつも内容は母自身の事で、いつも私に何らかのアドバイスを求めてくる内容ばかりです。

「私の事だけに注目して!」

という気持ちがメールからヒシヒシと伝わってきます。

 

そんなメールを無視してると、またしばらくしてメールが来るので、仕方なく返信をします。

そんなやりとりがもう10年くらい続いています。

最近私の目の調子が悪いからメールがあまりできない。という風に母にメールしました。

 

すると、母からはこんなメールが来ました。

「病気をしたって事は、あなたの生き方、考え方を改めなさいという事だと思うよ。生き方が悪かったと反省したほうが良いよ。」

とか、

「北風と太陽で言えば、自分が常に太陽でいれば人生も明るくなるのに。」

とか言われて、何だか久しぶりストレスが溜まりました。

でも、ここで私が母に何か言えば逆ギレされてとても面倒なので、

「ありがとう!頑張ります。」

と返信しました。

私が弱った時に限って、ここぞとばかりに説教したり、考え方を押し付けてくる。
母が優越感に浸っている事がメールで感じとれます。

眼科にも行く気が少し失せてしまいました。

あんな親から産まれた私自身を大切にしたいと思えないです。

何であんな親から言われた事がいちいち心に突き刺さるのだろう?

まるで親の言動が鍵で、私の心が鍵穴のようになっているかのようにグサグサと心にささります。


もしも私が親なら、子供にそんなメールをするだろうか?

 

もしも私が親なら、

「大丈夫!?つらかったらすぐに帰っておいで。いつでも迎えに行くよ」

とか、

「何か私にできる事があったらすぐに言ってね。もし良かったら、一緒に病院行こう」

とか言うと思います。

でも、私には子供はいない。

親になった事がない私は、親の気持ちが分からない。だからそんな態度をとる母のほうが正しいのかもしれない。

子供が弱った時に説教をして優越感に浸るのも、親からすると当たり前なのかもしれない。

傷ついた私がおかしいのかもしれない。
なんて思ったりします。


考えても考えても、母か私のどちらかの命が終わるまでは縁が切れない。つらいです。

考えれば考えるほど心がムカムカして不眠になってしまいました。

もっと自分を大切にして、病院にも行けるようになれたら良いなと思います。

 

 

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毒親に対する実験

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私は長い間一人暮らしをする事で毒親対策をしています。

簡単には会いに来れない距離まで離れる事に成功しました。

 

毒親の家から離れられたのは、私自身、本当に良い収穫となりました。

もし今毒親と暮らしていてつらい人がいたら、可能な場合ですが毒親とは離れて暮らす事を推奨したいぐらいです。

 

しかし離れただけでは全ては解決しないというのが、毒親の威力ですね。。

一筋縄とはいかない、まるで難しい数学の問題のようです。はぁ。。解きたくない・・・・・・。

 

せっかく離れて暮らしているのに、毒親の力は相変わらず強力・・・。

やはり目に見えない鎖というのはなかなか断ち切れないものですね。

 

 

毒親たちはあの手この手を使って、離れた場所にいても鎖を頑丈に繋げてきて、私は精神的に身動きが取れない状態にするのです。

 

「いっそ、全てが消えれば良いのに」

 

そんな風に悪い事を企んだ時期もありました。

 

しかし、わざわざ私が悪い事をするだなんておかしい話しだし、どうせ多分私の人生はまだこれからものすごく長いだろうから、退屈だし、どうせなら毒親に対して実験してみようと思いました。

 

どんな実験かというと。

 

「毒親たちに、優しくすること」

 

です。

 

優しくというのは、主に、

 

・会ったりはしないけど、きちんと連絡をとる。

・毒たちの話しを聞いてあげる。

・きちんと向き合う。

・そして、感謝の気持ちを言ってみる。

・少なくとも、年齢でいけば私よりも早く消えてしまう人たちだから、明日お別れするかもしれないという気持ちで毎日大切な気持ちで接してみる。

 

などなど。

 

 

こちらがあたたかい気持ちを持てば、相手もいつか変わってくれるのではないか?

 

と期待して、まずは私が変わろうではないか!と思ったのです。

 

 

昨年の年末あたりからその実験を開始してみました。

もうすぐ年末なので、一年続けた事になりますね。

 

この実験のおかげで、私自身の心に余裕が持てるようになってきました。

日常において笑顔の回数は増えた気がします。

 

でも、こちらがどんな風に対応しても、やっぱり毒親たちは変わらなかったです。

 

毒親たちは調子に乗って、ますますこちらの領域に踏み込んで来ようとします。

 

そして、相変わらずの

「結局のところ、お前は要らない子供」

という冷たい発言でまた私は傷ついたのでした。

 

何度も毒親から冷たい事言われてるんだから、いい加減慣れろよ!って感じですよね。

自分でもそう思います。

それなのに毎回私は落ち込んで、心がモヤモヤしてしまいます。

 

何を言われても平気になりたいものです。

 

 

 

この実験を一年してみて得られた事をまとめてみると、

 

・私自身、深く傷つかなくなった(でもやっぱり多少は傷ついて悩む)

・毒親だけでなく、他の友人や周りの人たちに対しても自然と優しくなれた。

・この実験は精神的にものすごく疲れる事が分かった。

・私の身内の毒親は、一生毒親のままだという事が分かった。(良い時は良いが、本質はやっぱり変わらない)

 

結果として深くは傷つかなくなったわけだから自己防衛にも繋がったようにも思えるので、今後もこの方法で関わっていこうかなと考えています。

 

しかしこの方法は精神的にものすごく疲れるので正しい対処法ではないのかもしれませんね。

 

しかし毒親から離れて暮らす事だけが精一杯の状況の私には、この方法が今のところベストな対処法かなと考えています。

 

本当なら、全てを投げ捨てて音信不通にしたいところなんですけどね。

そうすれば、そもそもこんな疲れる実験なんてしなくて良いわけですしね(^^;

 

他にも毒親に対して実験してみたい事が浮かんできたら実践してみようと思います。

 

今日も皆さんが一日笑顔で過ごせますように。私も笑顔で過ごしたいです。

 

読んでいただきありがとうございます。

 


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親に心を開けない子供

子供の頃の私に、親がこう言いました。

「言いたい事は言わなきゃダメだ!なぜ黙っている!」

心を開かない子供に対して、とてもイライラしている両親。

 

 

黙っている私にお父さんは殴りかかってくるし、お母さんはヒステリーをおこして怒鳴ってくるし、この人たちに絶対心を開くものか!と思った事もありました。

 

お母さんは子供の事を深く考えようとしないタイプの人間だったし、お父さんは「男の子とはこう育てるべき、女の子とはこう育てるべき」というマニュアル人間だったから、尚更私みたいにマニュアルに当てはまらない子供は理解不能でイライラしていたんだと思います。

 

何も言わない子供には様々な理由があると考えています。

 

私の場合はどうだったのでしょうか。

「心を開いても良いことはない。」 と子供ながらに察してしまっていたからです。

私は親に対して何度も心を開いた事があったはずなのです。

しかし、親の意見にそぐわない心の開き方をしてしまうと親に毎回心を折られていたのです。

親の顔色をうかがいながら発言をするうちに、心を開けなくなったのです。というか、開きたくなくなったのです。

 

では、どのような言葉を言ってもらえたら、私は心を開けたのでしょうか?

 

「心を開いても大丈夫だよ。自分が思っている事を話しても大丈夫なんだよ。お父さんもお母さんもみんなで心を開くから、一緒に心を開いてみよう!」

そんな風に言われたかったのかもしれません。

子供の頃だけでも良いので安心感の中で生きていきたかったです。

もしも私に育てるべき子供がいたなら子供には安心感を与えたいと思います。

つらいことは、学校や友達や社会から学べば良い。

家だけでも安心できる環境を作りたい。 そう思っています。

それって単なる理想論なのかもしれませんが、それができないなら子供は産まないです。

 

子供に安心感を与えられる親が増えることを願いたいです。

 


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