bluetrollbible58のブログ

子供の心の事、親の事を中心に書いていこうと思います。

私が親たちを殺さなかった理由③

※今回のブログはあまり良くない表現がありますが、その当時の気持ちをそのまま記録しておきたいと思ったので、同意できる方のみ読んでいただけたら幸いです。

 
 
可愛いものは、可愛い。
悲しい事は、悲しい。
ムカつく時は、ムカつく!
心から、謝る。
心から、好きという。
心から、ありがとうと言う。
 
私は物心つく頃から、それができる環境ではなかった。
 
 
もしかしてこの殺意って何かの感情がねじれた結果の表れなのだろうか?
 
じゃあ、そのねじれを真っ直ぐにしたら、殺意は消えるのではないか?
 
そう思った。
 
 

 

 
 
 
 
 
殺人犯からすると、ヘタレ人間、と思われるかもしれないが。
 
私はあの日、包丁を静かに片付け、自分の部屋に戻って行った。
結局誰一人、傷つける事はしなかった。
 
 
 
月日が経ち、祖父は過去の謝罪もないまま亡くなった。
反省もなく、気づけないまま亡くなる人もいるのだと思った。
他の家族は生きているが、それぞれ自分たちの悪さに気づいていない。
開き直っているようにも見える。
 
成長のない、時が止まったかのような家族だ。
 
 
 
 
 
そして私は35歳の誕生日を迎える事ができた。
 
 
 
今日、年老いた祖母からメールが来た。
 
「元気ですか。暑いですね。庭のお花が咲きましたよ。」
 
と。
 
そして、完全にピンぼけした庭の写メが添付されていた。
 
 
「は?めっちゃピンぼけしてるじゃん(笑)」
 
笑いながら、めんどくさいと思いつつ返信をする。
 
 
 
私がもしあの時、祖母を殺していたら、こんなやりとりも出来なかった。
 
 
そして、こうやって小さな思い出が増えていくたびに、私の心がどんどん幸せになっている事に気づく。
 
 
今では、ネコの事を可愛いと思い、それをストレートに可愛いと言えるようになった。
優しくなでる。優しく話しかける。
 
好きな人に、好きだと、言えるようになった。
 
心から感謝しているという気持ちを、そのまま表現できるようになった。
 
悲しいときや感動したときは、しっかりと涙を流せるようになった。
 
それを家族はバカにしてくるが、私はそれでいいと思っている。
 
 
気持ちのねじれをまっすぐに直していくと、そこにはもう殺意のかけらすら存在しなくなっていた。
 
 

 

 
 
 
命は、神様が持っていくんだ。私にその権利はないし、代理を務めることもできない。
 
 
殺人を思いとどまる事ができた場合、その先にはものすごく小さな幸せが待ってくれている。
ゴミみたいにも見える小さな幸せが、なぜか自分を救ってくれて、人生を変えてくれるのだから不思議だ。
 
もちろん、救いを経験する人生も、救いを経験しない人生も、自分で全て選択可能だ。
 
 
家族や誰かを殺したいと思っている人は、今一度手を止めて考えてみる事も、選択肢の一つかと思う。
 
 
 
 


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